【第6回】平成医療改革31年史

【第6回】平成医療改革31年史

臨床と研究をめぐる新たな展開

私が医学部生のとき、腎臓ガンの患者から腎臓を摘出する手術を見学する機会がありました。

麻酔科医とオペ室看護師が見守る中、3人の執刀医が現れました。一人は、大学医学部で講師の肩書を持つ40歳代後半の医師で、もう一人が6年目の医師、もう一人が1年目の医師でした。腎臓ガンの手術は泌尿科に属します。

執刀するメインの医師は、講師の肩書を持つ医師ではなく、6年目の医師でした。その医師に対して補助的に、あるいは雑用的に動いているのが1年目の医師です。講師の医師はじっと6年目の執刀メインの医師を見守っていました。

看護師が手際よく差し出す医療器具をタイミングよく受け取りながら、すいすいと手術が進みます。開腹して、腎臓が現れました。半分はガン病巣のようです。これからそれを摘出です。腎臓につながる血管をまず処理しなければいけません。腎臓を腹膜から剥離しようとして、6年目の医師の手が動きます。

と、そのとき、突然、ドロリと多量の出血が始まりました。おそらく太い静脈を傷つけてしまったのでしょう。あふれるように出血してきます。6年目の医師は必死になって、その出血を止めようとします。しかし、なかなか止まりません。傷口が大きいのでしょう。器具で挟んで一瞬止まったかに見えても、すぐに出血が始まります。間もなく、麻酔科医は大急ぎで輸血の準備を始めました。血圧が低下し始めたのでしょう。講師の先生は、動かずじっと見守っています。輸血が始まりました。医学生の私はひやひやしながら見つめるだけです。どれだけ時間がたったのかもわかりません。そのうち、6年目の先生は情けなさそうな顔をして講師の先生の顔を見上げました。

「ん、ダメか?」と講師の先生はつぶやきながら、ようやく手を下し始めました。すると、出血はたちまち止まり、腎臓の摘出が再開されました。医学生の私には衝撃のシーンでした。

その6年目の先生は、翌春、別の病院に異動しました。通常の時期の移動です。左遷というわけではありません。異動先の病院では泌尿器科のトップとして君臨することになるのでしょうか。医師がたくさんいる病院ではないですので、泌尿器科でその先生の上位に位置する先生はいないと思われます。

「あの先生が、異動先の病院の腎臓の手術を一手に引き受けるのか・・・」

私は、そら恐ろしい思いを抱きました。自分が、あの先生の患者になって、手術を受けることになったら・・・・。

日本中には8000件ほどの病院があり、それぞれの病院に多くの医師が配属されています。配属されている医師は、どんな経緯で、その病院にいるのでしょうか? 

先ほどお話しした6年目の医師は、大学病院の医局の命令で指定された病院に移っています。大学医局の命令で、医局関連の病院に行っているのを、「出向中」あるいは「出張中」と言います。「あの先生は、大学病院医局から出張病院に行っています」ということになります。その先生は、ときどき、元の医局のカンファレンスに参加したり、教授にあいさつに行ったりして、元の医局との関係を保ちます。元の医局との関係を保つのは、研究活動を行って、医学博士の称号が欲しいからです。また、○○大学の医局所属の肩書を持っておきたいからです。あるいは、万が一の時の頼り先をキープしておきたいからです。

元の医局からは、突然、「今の病院から、○○病院に転向せよ」と命じられることがあります。自分が今いるポストは医局が抑えていたポストですので、その命令に唯々諾々と従わなければいけないかというと、そういうわけでもないことがあります。当該病院の院長に引き留められたりして居残ることもあるのです。そんな場合、所属の医局とは、円満に行くこともありますし、確執が残ることもあります。

病院の立場では、「この医師は良い」と思ったら、「大学医局から出向中です」ではなく、「当病院の専従医師」にしたいのです。「この医師は素行が悪い」「医療技術が不安だ」などがあれば、「どうぞ異動してください」ということになります。

そのような医局人事に組み込まれている医師に対して、医局人事から完全に離れてフリーの立場になっている医師もいます。あちこちの病院が行っている医師募集に応じて、入職した医師です。医局との関係は、何かの機会で断ち切られ、医局人事から離れています。

「出身地に尽くしたい」という思いで、その病院に移った医師もいますし、毎年、転々と職場を変える医師もいます。一度開業して、また勤務医に戻る医師もいます。また、親が開業している病院に異動するという医師もそれなりに多く、この場合は医局との関係を保っていることがほとんどです。

さて、昭和の時代までは、ほとんどの医師が医局人事内に所属し、ごく一部のフリーがいる、または、開業している、という医療社会でしたが、平成の医療改革の臨床研修制度の結果、新しい一群が現れました。

大学医学部を卒業した後、臨床研修病院で過ごすうちに、その病院に取り込まれて、専従することになった、という医師たちです。元の医局には戻りません。その医師が定年退職まで、その病院にいるかどうかは不明ですが、医局人事とは無縁のものになっています。つまり、医局人事の支配から離れた医師群が現れてきたのです。この群は、国家にとってはありがたい群です。医療社会人事の医局支配から、厚労省支配へと移行させる貴重な足掛かりとなります。

当然、国家側は、その群の精鋭化を図りたくなります。そのためには、医療と研究をセットにした医療機関が必要です。

大学医局というのは、研究をテーマとする医師集団です。研究することにより医学を進歩させることに誇りを持つ医師が所属しています。それを模した政府管轄下の医療機関群が必要になるのです。医師の中でも患者の診療にあたるだけの医師は格下扱いされ、研究活動も行っているという医師が格上になるのです。 そこで、設置されたのが国立研究開発法人です。築地の国立がん研究センター、千葉の国立がん研究センター東病院、新宿の国立国際医療研究センター、大阪の国立循環器病研究センター、小平市の国立精神・神経医療研究センター、世田谷の国立成育医療研究センターなどが、愛知の国立長寿医療研究センターなどがそれにあたります。研究活動を行うことと患者を診療することを併設した病院群です。いろいろな大学出身者が籍を置いています。研究部門に大きな予算が組まれていくことでしょう。このような医療機関群が現れたのも、平成医療改革の産物と言えるのです。