【第3回】平成医療改革31年史

【第3回】平成医療改革31年史

もしも、一から医療サービスを構築するとしたら・・・

ある一つのほどよい国土面積を有する国があったとします。国民の識字率は高く、人々は理性的で勤勉です。その国の経済は、ある程度発展しています。しかし、驚いたことにその国には、科学的な医療サービスがまったく存在していません。軽い病気になったら、伝承的な薬草を使った治療を家庭内で行っているだけです。外科手術など存在せず、体表面の傷に対して薬草を塗って、その上から布を貼っているだけです。重い病気になったら、寝かせて自然経過で、どうなるかを観察するだけです。祈祷を行って、治ることを神に祈ったりしています。当然、医師は存在せず、病院や診療所などの医療機関も存在しません。

そのような国があったと仮定します。平和そうな国だなあ、という見え方もしますが、ある時、その国に一大プロジェクトが勃発しました。「国内にあまねく行き渡る医療サービスネットワークを築き上げる」というプロジェクトです。さあ、どのように手掛けたらいいのでしょうか。有り余る資金があるという前提で考えます。

医師を作り上げて育成する

いろいろ考えていると、3つの観点へと絞り込まれます。

第一は、「医師を作り上げて育成する」というプロジェクトです。第二は、「医療機関を設立する」というプロジェクトです。そして、第三は、「医療サービスを受ける時の金銭授受のシステムを検討して、制度化する」というプロジェクトです。
医師を作り出すには、どうしたらいいのでしょうか。医学を習得するには、高度な知能が必要です。また、長い年月を勉強し続ける精神的粘り強さも必要です。そのような者を国内から集めなければいけません。自信のある人に応募してもらい、応募者の中から選抜する、というのが順当な考え方のように思います。
医師候補者を集めるだけでは、医師を作り上げることはできません。「医師を作り出すための医師」が必要です。その医師は、現時点では国内に存在しませんので、外国から招請することになります。面倒な気がしますが、そうせざるを得ません。招請された医師が、選抜された者達に医学教育を行います。あるいは、選抜された者を海外に送り出して、医学教育を受けさせるという手もありますが、それはごく少数にしかできません。

実践力ある医師が誕生するまで

一人前の医師を作り出すためには、まずは人体の構造、人体各部分の役割、病気の実態、その治療方法などを勉強してもらわなければいけません。最初は座学で学ぶことができますが、後には、病気の人を目の前にして治療に取り組むという実践が、必要になります。実践に取り組む場合、手術や投薬を行いますので、その相手の人体に危害を与える恐れがあります。つまり、座学と実践では大きな違いが生まれます。
この両者の間には、明確な区分けが必要です。座学の時代を「医学生」と名付け、実践を行える時代に入ってから「医師」と名付けることにするのには、合理性があるように思います。当然、座学を十分に習得した者だけに、「医師」の称号を与えることになります。
ところで、医師の称号を与えた者に実践トレーニングを積ませるためには、患者を集める場所が必要です。その場所がまだありません。とりあえず、トレーニングするための医療施設が必要です。それを作って、その施設で、医師たちが一人前になってくれるのを待つことになります。その施設はやがて、「医学部付属病院」と呼称されることになるのでしょう。
一人前になるまでの期間を、「研修医」と名付けることにも合理性があるように思います。研修を経て、ようやく実践現場で活躍できる医師が誕生したことになります。

医師と国家との関係性

さて、この国は医療サービスに関してまだホワイトキャンパスです。一人前になった医師と国家とのかかわりという問題が生じます。国家としては、その医師の自由をはく奪し、国内の思い通りのところに配置できれば、国内の医療サービスネットワークづくりには理想的です。
その理想を実現するためには・・・。医学生を募集する段階で、将来に関する確約をもらい、一人前の医師になるまでの費用をすべて国家で負担してあげることになります。その国家の憲法が許せば、それは可能になります。しかし、一人前の医師になるまでの費用を本人が負担していれば、自由をはく奪することに無理が生じます。
話を一戻します。やがて、まだ「ひよこ」でありながらも一人前になった医師が、経験を積んで、「医師を作り上げる医師」「医師を育成できる医師」へと立派に成長していきます。そうなると、医師の再生産体制が完成し、外国人医師の招請は不要になります。そして、その国内には、その国独自の観念を持った医師が、次々と誕生していくことでしょう。
そうなるのに、どれくらいの年月がかかるのでしょうか。今の感覚なら30年くらいはかかりそうな気がします。しかし、150年くらい前の医療なら、5年から10年で可能なのかもしれません。

明治維新期以降の日本を振り返る

さて、これまで述べた一般論に対して、日本の明治維新期の動きを見てみましょう。江戸時代が終焉を迎えた頃、日本には漢方医がいるだけでした。そこに西洋型の医療を導入することになったのです。資金も時間もありません。
明治維新期、大学医学部や医学専門学校を設立しましたが、医師の輩出には長い時間がかかりました。そこで、政府は、1年半の修学(詳細不明)の後に「ある試験」を合格した者は、医療施設を開業してもよい、という制度を設けました。その試験は、医術開業試験と名付けられました。受験までの1年半の修学は独学でも可能で、試験に合格さえすれば開業できるというものでした。明治期の開業医の貴重な供給源でした。
この制度下で誕生した開業医が、明治期の主流を占めていました。時間ととも に、帝国大学卒業生や医学専門学校卒業生との技量差が大きくなったので、大正5年(1916年)に試験は廃止されましたが、大正初年では、西洋医3万人のうち、医術開業試験の合格による医師が1万5千人いたとのことです(医学専門学校卒業生1万2千人、帝国大学卒業者3千人)。
以後、医師といえば、医学教育機関から輩出される者に限られることになりした。そして、その医師に研修を施す主体者も医学教育機関になったのです。

現代、そして平成の大改革ヘ

医師の資格を得るものが大学医学部の卒業生のみに限られ、その卒業生のほとんどに、一人前の医師になるまでの研修を施すのが、大学医学部付属病院であるという流れが出来上がり、昭和の時代に、医師に対する医局支配が完成しました。
自己の医学部の元で育成した医師は、その後長きにわたって、その医学部内の各医局の支配下に置くというものです。医局が、医師の自由をある程度はく奪したのです。
平成時代は、医師の研修に一大変革がなされました。医学部卒業生が医学部の 附属病院ではなく、多くの病院に散らばっていく、というシステムを作り上げた のです。散らばっていく病院は、もちろん新人医師にトレーニングを積ませることができる病院であり、一面で「臨床研修病院」との呼称が与えられました。
平成時代に成し遂げられたこの制度変更は、医療社会の支配関係にくさびを打ち込み、医療社会の未来を変えてしまう大改革であり、実はすごいことなのです。