【第4回】平成医療改革31年史

【第4回】平成医療改革31年史

新しい治療技術が日本で誕生しないわけ

平成初期に日本の医療社会に導入された新しい治療技術として、腹腔鏡下での胆のう摘出術があります。開腹しないで胆嚢を摘出してしまうのです。
新しい治療技術は、日本では滅多に生まれません。国民皆保険の国だからです。医療機関は、原則的に健康保険で認められた治療しか行うことができず、その健康保険が適応されるかどうかは、厚生労働省が決めています。
治療方法として、一定の確実性のある治療方法のみが、健康保険適応として検討されますので、まだ保険適応になっていない新しい治療を病院内で実施することはできません。その結果、新しい医療技術は育たず、制度的に日本国内のどこかの病院から誕生することはないのです(ガン治療に関する完全自由診療の総合病院が、誕生してほしいものです)。

胆のうを摘出するにあたって、開腹せずにお腹に数ヶ所の穴を開けて、そこから腹腔鏡を挿入して胆のうをとってしまうという技術は、アメリカで誕生しました。日本にその技術を導入するためには、日本の病院の医師がその治療を行っている病院に留学することになります。留学先で技術を習得し、腹腔鏡下胆のう摘出術を実施できる医師が一人誕生するのです。

習得した技術の行方

さて、その医師は日本に帰国したら、どこの病院に行くのでしょうか。当然、「留学に行きなさい」と命じたところに戻るのです。どこが命じるのかというと、大学病院の「ある医局」ということになります。だから、その技術を持った医師は、大学病院の医局に戻ります。そして、その医師が技術を当該医局の医師達に伝授します。それが徐々に広がり、日本中でその治療が実施できるようになるのです。
民間の病院が自院で勤務する医師を海外に送り出し、技術を身につけさせて帰国させ、自院でその技術を発揮させる、などということは滅多にありません。
ということは、海外に医師を送り出せる力がある病院に、先端技術が集中することになります。移植技術やその他の治療技術も同様です。

医師の進路は2パターン

医学部を卒業した医師の進路は、次のパターンに分かれます。
「俺は最低限必要な医療技術を身につけたら、あとはそれを実施する現場で仕事しながら、プライベート生活のことを考えて平穏な人生を送りたい」と願う医師と、
「俺はあらゆる修羅場を乗り越えて、俺の力で、医療や医学を進歩させてみせる」という崇高な強い志を持った医師の2パターンです。

前者は新しく面倒なことが目の前に発生することを嫌いながら日々を過ごします。時には、収益問題ばかり念頭に置いて日々を過ごす医師も現れます。この医師は、一人前になったところで日本中の市中病院に散らばって、診療最前線に配置され、日々の診療業務にあたります。開業して自分のクリニックを持つ人もいます。あるいは、親の後を継いで、病院やクリニックの院長におさまったりします。
後者は、医療技術を身につける傍ら、新しい治療方法に強い関心を持って研究活動に励む日々を過ごします。そのような医師達が必然的に集まる病院があります。そこに、先端技術が集中するのも当然のことでしょう。
そのような病院は、特定機能病院と名付けられることになりました。そのほとんどは、大学医学部の附属病院です。
大学医学部内では、医局内で教授のポストを巡って派閥抗争が生じます。その抗争に勝利した者はその医局の教授となり、敗れた者はやがて市中の大学病院に下野します。下野して、その病院の院長、副院長、部長などになるのです。勝利した者も、配下の医師を必要に応じて大病院に送り込みます。この場合も、部長クラスになることが多いです。

特定機能病院一覧

このように考えていくと、日本の病院群の区分けが見えてくると思います。
日本には、特定機能病院が86件ありますので、その一覧表を掲載しておきます。

特定機能病院一覧