医療大国日本

【第9回】平成医療改革31年史

入院医療をめぐる課題

私が医学部を卒業し、医師になって大学病院で研修を始めた頃、「入院」をめぐって、望ましからぬ現象が発生していました。

積極的な治療が不要になり、退院させようとした患者からの「このまま入院させ続けてください」という懇願です。
「家に帰ってきたら家族が大変だから」という家族側の理由もありますし、「家に帰ったらまた一人になる。そんな生活はしたくない」という本人の理由もありました。また、高額の個室に入院し続け、「ここは俺の家みたいなものだ」という人もいました。

病院としても、「この患者の命は救えた。しかし、寝たきり状態になってしまった。新たな医療処置はほとんど必要ない。しかし、今の点滴などの治療は必要だ。この病院にはあわただしい治療が必要になる患者や、深い治療の考察が必要になる難病の患者もたくさん来る。寝たきりのこの患者を入院させ続けるわけにはいかない」という事情があるのは当たり前です。

病床の機能分化

入院ベッドというものを二分化させる必要がありました。
医療が進歩するとどうしても、
「命は救えた。でも、寝たきり、あるいは、それに近い状態になってしまった」
「あの難病を抱えながらも、よくここまで生き長らえた。日常活動はほとんどできないし、医療的な処置は常に必要になる。家に帰すわけにはいかないが、病院に居続けるのも社会全体のためにはかなり困る」
という患者が増えてしまいます。
そこで、平成4年に、病床を「一般病床」と「療養病床」に分けようということになったのです。その二つでは、当然、医師や看護師の配置が異なります。必要な医療機器、検査機器の種類や量も異なってきます。要求される医師の技量や意欲も異なってきます。二分化はある意味で、必然性のあるものだったのです。

昭和23年の医療法制定時には、病院の入院ベッドに関しては、4つに分類されていました。「精神病床」「伝染病床」「結核病床」、そして、「その他の病床」でした。「その他の病床」と名づけられていたのは、当時まだ解明されていない病気がたくさんあったのと、戦争に関連する患者も多かったからでしょう。「その他の病床」では、虫垂炎や脳卒中、吐血、下血、肺炎、外傷などの手術や治療が盛んにおこなわれていたのかもしれません。

治療技術の進歩と高齢化に伴い、「大した治療は必要ないけれど、退院させるわけにもいかない」という患者が増え、昭和58年に「特例許可老人病棟」が設けられ、平成4年の制度改革を経て、平成12年には病院群全体を、「一般病床」「療養病床」「精神病床」「感染病床(伝染病床から改名)」「結核病床」に5分類しました。
その大きな5分類の中に、特定機能病院や救命救急センター、リハビリテーション設備、緩和ケア病棟などが設けられています。これを模式図で示します。

平成医療改革31年史