医療大国日本

【第8回】平成医療改革31年史

院内感染

新型コロナの流行で、病院に行く人が減ったとのことです。「病院が感染源として危ない」と認識されたからでしょう。そんな認識が広がって来院する人が減るというなら、「今まで何の必要性があって病院に行っていたのか」とう疑問がわいてきますが、さしあたり、いつももらっている薬さえあればいい、と思っていた人が多かったという事を示しています。
病院には病気の人がたくさん訪れています。インフルエンザなどの感染症患者もたくさんいます。小児科領域ではなおさらです。その病院が「感染源として危ない」と思われるのも当然です。

院内感染も問題視されました。院内感染がクローズアップされるようになったのは、平成になってからです。抗生剤の使い過ぎのために、ほとんどの抗生剤に耐性を持った黄色ブドウ球菌(多剤耐性黄色ブドウ球菌、略してMRSA)が生まれ出て、それが肺炎を引き起こすことが話題になったのです。
しかし、MRSAは、末期状態になるまでは出現することはなく、「人から人へ」感染する力が弱かったので、それほど大きな危険とは認識されませんでした。

医療事故

病院には、危なく怖いことがたくさんあります。もともと医行為とは、「人体に危害を与える恐れのある行為」と定義されています。その医行為を日常的に実施しているのが医療機関ですから、感染症の伝播だけでなく、危なくて怖いことがたくさんあって当然です。ちょっとしたミスでも重大な結果を引き起こすこともあります。
平成11年、衝撃的な事故が連続しました。1つは、横浜で起こった患者取り違え事件。もう1つは都立病院で起こった点滴薬の取り違えによる死亡事件です。
患者の取り違え事件というのは、心臓の手術を行う予定だった患者と肺の手術を行う予定だった患者を、病棟から手術室へ運ぶ際に入れ替えてしまい、手術終了後まだ誰も気づかずに、心臓病の患者の肺を切除し、肺の病気の患者の心臓の弁置換手術を行った、という事件です。
点滴薬の取り違え事件は、手術後の患者に血液凝固阻止剤を点滴するところ、間違えて消毒薬を点滴してしまい、患者が死亡した事件です。

昭和の頃から、医療事故はそれなりに頻繁にありましたが、この2つの事件は、マスコミも大きく取り上げた上に、1ヶ月ほど隔てただけで、立て続けに発生した印象を与えました。そこでようやく、医療社会全体が「医療行為を安全に遂行する」ことに関して立ち上がることになりました。それまでは、各病院、各医師が明確なガイドラインもなく、個々の経験や信念、信条で安全管理らしきものに取り組んでいたのですから、驚きます。

安全な医療を目指して

2つの事件の背景には、

◆個人としてもチームとしても、安全確認の意識付けが徹底されていない
◆日頃の小さなミスが書面で報告されていない
◆チーム内での情報共有不足
◆多重業務
◆深夜業務などによる確認不足

などが潜んでいるとされ、それらの改善に取り組むために、「医療安全管理」が議論されるようになりました。
平成13年に厚労省内に医療安全推進室が設けられ、検討を繰り返しながら、平成14年に「医療安全推進総合対策」が策定され、特定機能病院や臨床研修病院内に「医療安全管理室」が設置され、その管理者の権限を高める体制を整えられました。
平成15年には、地方自治体に「医療安全支援センター」が設置され、「医療事故ではないか」と思われるケースに対する患者の相談窓口が、保健所と同じような形式で設けられました。ヒヤリハット事件の収集や医療事故事例の収集を経て、医療における安全管理に対して、保険点数の加算も認められ、その推進が徹底されました。
平成27年に、医療事故調査制度が施行されました。これは、「医療事故が発生した医療機関において院内調査を行い、その調査報告を民間の第三者機関(医療事故調査・支援センター)が収集・分析することで、再発防止につなげるための医療法に位置づけ、医療の安全を確保するもの」です。

医療の安全管理の遂行に完璧、完成はなく、終着点はありません。令和の時代になってもその事業は引き継がれ、今は「医療安全管理専門医の育成」「生体認証を用いるなどの医療現場のIT化(患者取り違えの防止)」「医療安全支援センターの機能の充実・拡大」「国、地方自治体が、医療安全に対する基盤整備、人材確保、財源確保に配慮する」などがテーマになっています。

病院組織図の一例

平成医療改革31年史