医療大国日本

【第7回】平成医療改革31年史

平成の時代は、医薬分業が進んだ時代でもありました。
医師と薬剤師に関して、「医師は医学に精通し、薬物療法にも熟達している。しかし、薬同士の相互作用や限界投与量などに関しては薬剤師ほど詳しくはない。だから、医療は医師と薬剤師を両輪として成り立つ」とされています。しかし、平成初期の頃、薬剤師は、医師が交付した処方せん通りに医薬品を調剤するだけの作業員に過ぎませんでした。

「薬漬け」の時代

私が四谷メディカルサロンを創業した平成4~5年の頃、「入会しようかな」を検討するために相談に来た人とは、まず、その人の身体の話をします。どこかの病院に通院し、コレステロールや糖尿病など、何かしらの薬を飲んでいる人が多かったものです。
当時、マスコミからは、「薬漬け・検査漬け」と揶揄されていた時代でもありました。一人で十種類以上の薬を飲んでいる人も珍しくありません。

「常用している薬はありますか」
「たくさんあります」
「出してみてください」

見てみると、同じような薬をたくさん出してきます。ほとんどの人は、その薬の名前の一つ一つを覚えていません。そして、何の病気に対してその薬を出されているかも知りません。「多分そうだろうな」とは思っていましたが、想像を絶するものでした。

複数の病院にかかっていて、同じ薬を出されている人もいました。本人は同じ薬だと気づいて、「同じ薬ですから、こちらは飲まないでストックしているのです」と話します。余った薬は捨てているとのことです。患者側は出されている薬に対して想像以上に無頓着です。

「これとこれは一緒に飲まない方がいい薬ですよ」
「ああ、そうだったのですか」

という会話も何度かしました。ダメな飲み合わせであると注意書きなどに記載されていても、人の身体というのは丈夫なもので、案外、大事態は起こらないものだなあと感心した覚えがあります。

医薬分業のねらい

平成初期の頃は、まさに「薬漬け」の中で、処方する医者側が、「他院からもらって飲んでいる薬はないですか」と尋ねることもなく、薬を出し続けていました。
言ってみれば、医薬品投与に関して、それほどいい加減だったのです。だから、その人が飲んでいる薬を整理整頓してあげるだけで、立派な仕事をした気分になったものです。
そんな時代でしたから、医薬分業をすすめて、重複投薬、過剰投薬などの無駄をなくして、投与される医薬品の総量を減らし、医療費高騰に歯止めをかけよう、という風潮が現れるのも当然でした。

医薬分業をすすめる大義名分は次のようなものです。

分業は定着しているか?

さて、始まりは平成4年です。医療法が改正されて、薬剤師が医療の担い手と明記され、以後、薬局や薬剤師の質的向上に向けた取り組みが続きました。
医薬分業を図るために厚生省は、病院、診療所内で薬を調剤するよりも、院外処方せんを発行する価格を数倍高く設けるなど、利益誘導で医薬分業をすすめました。大義名分では進まず、利益誘導しないと進まないのは、悲しいことです。何はともあれ、その流れの中で医薬分業は進み、誘導された利益をネタに上場する薬局会社まで現れました。
平成元年の処方せん受取率は11.3%でしたが、平成15年に50%を超え、平成31年には76%になっています。

かかりつけ薬剤師の費用対効果

平成27年頃からは、「かかりつけ薬局」の構想が立てられました。
薬局がメディカルサロン創業時の私の仕事を薬剤師に行わせよう、ということを意図しているのだと思います。地域に根付いた処方せん薬局をイメージし、それを拠点として、患者にいろいろな指導を行っていく姿です。

私は自分が経験者だから言えますが、おそらく薬剤師には難しいと思います。このタイプの「かかりつけ薬局」活動は、結局は病気そのもののアドバイスができないと有意義な話はできないのです。薬学的な話は、聞いている人は興味を持ってくれません。
薬を整理しながら、病気そのものの解説や生活指導など、行うべきことがかなり多岐にわたり、1時間くらいはあっという間に経過してしまいます。「かかりつけ薬剤師」を本気でやるなら、それくらいになってしまいますので、健康保険の範囲内で行えるものではありません。おざなりの活動だけにとどまり、医療費の浪費だけが進むと思われます。

地域に根付いた「かかりつけ薬局」の構想が今後どのように展開されるか、私はお手並み拝見しています。

平成医療改革31年史